道徳イズム

東京生まれ東京育ちの大学生のひとりごと

映画をおすすめしてください

最近、これってどういうことだろう、どうしてだろうと思うことに対して、何かしらの答えというかヒントみたいなものを求めて映画を観ることが多いんだけど、これはどうなんですかね、映画好きの皆様。映画に何かを求めるなっていう人もいると思うけど、とりあえず最近はそういう気持ちで観る映画を決めてる。

 

11月末くらいにふと、セックスって何のためにするんだろうと考えてて、愛を確かめるためみたいな表現がよくあるけど、それは自分的には美化しすぎな気がしてしまって、「愛を確かめるためです!」とは言えないなあと思った。でも性欲を満たすためだとしたら、それは相手がだれでもよくなったりして当てはまらない場合も多そうだから、それもそれでうーんという感じがした。

そういう気持ちで、以前から気になっていた『愛の渦』を観てみようかなとなり。

R18なので、自分はエロもグロもあんまりでどうかなと思って観れなかった作品だったんだけど、すごくよかった。レビュー見たら会話のテンポが悪いとかいろいろ書かれていたけど、個人的にはその間を楽しめたし、キャストの表情とか周りの人との関係性とかを伺っている感じも面白かった。あと、ぱっとしない麦ちゃんと池松壮亮さんにイライラするみたいなことも書かれてたけど、これもお二人の演技に終始にやにやしながら見られた。

個人的には疑問とか考えるヒントみたいなものを求めて観てしまったんだけど、最終的にはセックスは自分や相手の実存を確かめるっていう行為なのかなという結論に落ち着いた。自分の存在を確かめるだけなら相手は誰でも構わないのかもしれない。けど、相手に対して何かしらの感情を持っていれば、自分だけじゃなく相手の存在も確かめることができて、それが愛とか一緒に生きてる!みたいな実感に繋がるのかなあ。

結局二人でないとできないから、相手を認識して相手に対して感情を持つか持たないかみたいなところで意味が変わるし、実存の確認っていう新しい考えが自分の中で生まれたのは一つ発見だったと思う。これはまだまだ考えが足りないなと書きながら思ったけど、とりあえずは自分の中で落ち着く結論が出たのでやっぱり観てよかったし素敵な作品であった。

 

 

あと、愛繋がりで言えば先週『生きてるだけで、愛。』という躁鬱の趣里ちゃんが全裸で疾走するトンデモ映画を観たんだけど、これも素敵でした。

私は私と一生別れられない、という感じのセリフがあって、ああ本当にそうだなとなった。どんな自分でも、自分は自分と一生別れることができない、だからこそ自分が自分の絶対の味方でないとどうしても自己肯定感が下がってしまうし、自己論駁的になってしまう。

何分人生経験がないので見たり聞いたりしたことでしか分からないけど、自分と別れることができない事実を認識するっていうこと自体が難しくて、それが現代人の鬱とか働き方の問題とかの諸々に繋がるんじゃないかな。ありのままの自分を認めて受け入れることができないと、自分を否定したり本当の自分を隠したりする。そうすると、人に良く見られたい、こんな自分になりたいのに、という気持ちに圧迫されて苦しくなる。これらの気持ちと本当の自分とのギャップが広がっていくことが、精神不安とか情緒不安定の原因になりそう。

だからやっぱり、頭の中をクリアにして自分のことをフラットに見たときに自分に対して抱く正の感情も負の感情も、そのまま一旦受け止めてあげないといけないよなあ。そのどっちかしか受け取らなかったら結局曲がっちゃうだろうし、一旦は受け止めて自分の理想とか目指したい方向性と比較して、その溝を埋めていくためにどうするかを考える必要があるんだろうなあ。でもこれが難しいんだよなあ。とかそういうことも考えるきっかけになったのでこの作品もよかった。

 

そんなこんなで映画を選ぶときにいつも意図を持っちゃうけど、たまには何も考えずに観てみたいのでおすすめあれば教えてください。以前人におすすめができないということを書いたけど、人には求めちゃうのってわがままだよね。

半年の振り返り

約半年ぶりの更新で、ここ半年何してたかな、何考えてたかなと振り返ってみた。

 

この1年間、人格が変わった、成長したと尊敬している人や友人らに何度も言われた。特にこの半年は、思ってもみないことが起きて今までとは違う時間の使い方をすることが多かったけど、その中でも自分の考えを見直したりブラッシュアップする時間をとってコツコツ積み上げてきたイメージが自分でもあって、確かに去年までの自分とは全然違う自分になれているなあという感じ。

去年までの自分は、小さなことでイライラしたり納得できないことが多くて子どもだった、すごく。今の自分のことも子どもだったなあと思うときが来ると思うけど、今の自分は偏見とか先入観なしに人や物事を見て、自分の頭で考えて判断することができていたり、つらいなあ、しんどいなあと思うことに対してどうしたら前向きに捉えられて自分のためになるのかを考えられていたり、結構すきな自分になれている気がする。

 

だから振り返ればこの半年は、「すべては捉え方次第」ということを実感、実践した時間だったかなと。起きている事象自体は変わらなくても、その事象に対する自分の捉え方を変えて、前向きに、自分や人のためになるように考えてみることができた時間。

10月の自分の口癖は「私の人生これから先良いことしかないから」だったんだけど、これは良いことしか起こらないという意味ではなくて、どんなことが起きても自分の捉え方次第で良いことに変えられるだろうなっていう、ちょっとした自負で、決意表明の意味合いも込めて言ってた。

まだ20年しか生きてないのでこれから先想像もつかないようなことがたくさん起きるだろうけど、「私の人生これから先良いことしかないから」っていう言葉はそれなりに積極的に使っていきたいし、言葉だけでなく実践していきたいなあ。

そんな感じで自分のことばっかり考えてた半年でした。

 

もう少ししたら今年の振り返りというか総括的なものを書きたいけど、とりあえず半年分くらいは思い起こしておこうという感じで今日は書いてみました。なかなかうまく考えてることを言葉にできないから、こういう形でメモみたいに書いていくことを来年はちゃんとやりたい。

 

嫌な日だった

今日は嫌な日だった。がっかりすることが多かった。

 

予約制じゃないイベントみたいなものがあって、都会の方に行く用事があったんだけど、めちゃめちゃ並んでいた。

並んでいたこと自体は全然問題なくて、想定できることだったし、もともと「混雑が予想されます」ってメールに書いてあったから「あ、ここに並ぶのね」くらいの気持ちだった。

 

けど雨の中並ぶことに対して文句を言う人が多すぎた。運営スタッフの人は雨の中傘もささずに声をかけて走り回ってくれていたのに、それに対して雨だの時間かかるだの文句を言う人の多さといったら。こんなにがっかりしたのは久しぶりだった。

 

そもそもメールに混みますって書いてあって、それでも来てるわけだから文句なんか思っても口にするなよと正直感じてしまったし、来ることも並ぶことも選択権は自分にあるんだから、選択した以上は今の時間を楽しもうとか、そういう方向性に気持ちを持っていくことってできないのかな。

自分はもともと待つことに苦痛を感じない性格だけど、待たないといけないってなったらその時間が楽しくなるような工夫をするし、1人ならいろいろ考えたり、誰かといるなら普段できない話したり。

 

運営する側も想いがあって一生懸命やってて、こっちもそれに参加することを選択してるわけで、いちいちそんなことに対して文句言ってても仕方ないよなって思うんだけど、本当に今日は空気が悪かったな。

いつもは「ほんと」って書くんだけど「本当」って書いちゃうくらい、本当に嫌な感じの環境だった。

 

もともと何かする、どこか行くってなったら結構下調べするタイプだけど、最近はこういうふうに予想がつかないこととかが怖い。こういうことにがっかりしたくないなって思ってるから、がっかりするようなことが実際にあるとすごく落ち込んじゃう。

バイトでも言われるけど、何かを始める前のマインドセットと何か起きた時の自分のマインドのコントロールがすごく大事だなと思った日でした。

勉強の成果を実感すること

最近勉強していて、成果を実感することが難しいなと思う。

 

大学受験以前は、小学校の勉強は中学校の勉強のために、中学校の勉強は高校の勉強のために、っていう感じがあって、テストがあって「あなたはこのくらい理解できていますよ」ということが数字として明確に表されていた気がする。

だから自分の努力に対する成果とか、怠惰の結果とかを実感しやすかったと思う。

 

よく学問という言葉で言うけど、大学に入ってからの勉強はそれで、大学側が評価するためのテストとか成績はあるけど、テストとかレポートは返されなかったりするから、明確にどこがどう理解しきれてなかったとか、どの部分の考えが浅かったとかがわかりにくい。

だから大学受験以前にテストの点数とか成績を頼りにしてきた人にとっては、大学でやってることってよく分からなくてつまらなかったりしちゃうんじゃないかなと思う。

 

試しに「学問」で検索すると、大学と高校の勉強の違いとかそういう記事が多いけど、本当に高校までのやり方で勉強していると途中で大学の勉強が楽しくなくなっちゃう人は多いな。

勉強の成果が数字みたいな形式では感じにくくて、主体性とか自分で考える姿勢がないとついていけないだろうし、こういう違いって大学生が遊びまくってることに関係してるんじゃないかと思う。大学時代は人生の夏休みなんて言われるけど、周りを見ても夏休みを有効活用している人は少ないなって感じ。

 

そういうことを思って、じゃあどうしたら大学での勉強の成果を実感できるのかなと考えてみた。

まず自分の感覚を振り返って思ったのは、勉強して知ったこと、触れたものが普段の自分の思考の中に落とし込まれる瞬間が一番うれしいということ。

自分の頭の中の、何かを考えるための土台やロジックに組み込まれたことを感じる瞬間。ああたまらん。

 

知らないことを知った時とか、見たことのないものを見た時も挙げられるけど、それが自分の思考に組み込まれるときが一番うれしい。自分の身になってる感じ。だから自分の感覚としては、この時が一番成果を実感してると思う。

大学での勉強は考えるための知識とか情報の土台づくりだったり、論理の組み立ての練習に近い気がする。そのためには結局自分の頭で考えることが必要で、それが学問をするってことだと思う。

けど、高校まで見たいに暗記とか、これやっておけば大丈夫!とかもなくて、正攻法がなくて成果を感じるまでに自分でやることが多いし、そういうのが苦手な学生は多いよなあ。

 

そうなるとやっぱり大事なのは人と話すことだなと感じる。人と話すことで、「この人ってこんなこと考えてるんだ」「こういう考え方があるんだ」っていうのは多くの人が感じられることだと思うし、こういう気持ちが思考することに繋がる。

思考すると、あまりにも自分に考えるための知識がないということ、論理の組み立て方を知らないということに気付く。

そこまできてやっと学問を始められる、興味が持てるのかな。

 

あとはもう思考しまくれば成果も実感もついてくると思う。で、もっと知りたくなって、もっと勉強したくなって、学問に近づいてく。

これって高校生までの勉強と大学以降の学問っていう対比が分かりやすいけど、高校生とかにも全然言えることだと思うし、自分の子どもには学ぶことの楽しさとか、世界のいろんなことを自分の中に取り入れていくおもしろさとかを伝えたいなあ。

 

ここまで書いて、やっぱ批判ばっかして世のなかに文句ばっか言ってちゃだめだなと思った笑

自分や自分の未来の家族が暮らしていく国を良くしたいなあと思ったら、大学生を批判してる暇あんなら勉強しろって結局なるな。全然批判してるつもりはないんだよお~…。

 

これ書きながらSid聴いてたけど、ボーカルの人あんなにかっこいいのにもう40代になったんだな、時間の流れは速いぜ。

B'zとかラルクとかももう50代なのを思うと本当に時の流れは速い。今のうちにたくさん勉強しなきゃなってやっぱり思うなあ。

こういうこと考えられるうちにたくさん学んどこう。

自分らしさ

自分らしさを取り戻してきたなと思う、最近。

自分らしさって何だったかなって考えてみると、ぱっとこれ!っていうのが浮かぶわけじゃないんだけど、集団の中での立ち位置だったり振る舞いだったり考え方だったりで、「これが自分だったわ」と思うことが多くなってきた。

 

いままでの自分はちょっと抑圧されてたこともあって、こうあるべきっていう理想がかたまっちゃっててそれに向けて一直線に進むぞ!という姿勢だった。

けど最近はその抑圧から解放された感覚があって、べき論で思考を固定しないことの気持ちよさを覚えたてなところ。

 

集団の中で心地いいと思うポジショニングをして、一番素の自分を発揮して、自分らしさを取り戻しつつある。

 

んだけど、そんな自分って自分らしくないなとも思う。こんなに自分らしい自分って今までの自分じゃないなっていう、「あれ?自分らしくないのか今?」みたいな感じもする。

 

思考が自由になると、自分の価値観のものさしとしてすごく大切に考えていたことも、そこまで大切じゃなくなったりする。

そうすると、そのものさしで判断してしたいろんなことに対する考えが変わるから、人間関係もなにも捉え方が結構変わる。

それで今は、これまで大きな価値を置いてなかったものに対して価値を感じたり、こだわっていたことにこだわらなくなったりして、毎日がめちゃくちゃ楽しいし日々成長とか変化していく実感がある。

 

でもこんなことって今までなくて、やっと自分らしくなれたなっていう感覚と、これって今までの自分らしくないなっていう感覚が混在してる。思考がごちゃごちゃしてるのもあるな、多分。

 

今週は頭の中と身の回りを整理していく週にしたい。振り返って見るとやっぱり意味わかんないこと書いてる笑

脳が退化していく現象

昨日録画した「トイストーリー3」を午後に見てて気になったのが、家を楽しくするのはテレビだというスカパーのCM。

周りの大学生も家で一日中どうぶつの森をやってるとか、Netflixをみてると言う。

 

自分もテレビや映画は好きだが、行き場をなくした大学生や小中学生、高校生が一日中家でゲームをしたりYouTubeを見ていたりする姿を想像すると、正直ぞっとする。「鬼滅いっき見!」とかいう人もまじで怖い。

 

かくいう自分は自粛生活が始まってから「脳にしわを刻み付けてやるぜ!」という勢いで勉学に励んでいる。

この状況下で自分ができることといったらもう必要のない外出をしないことと、外出する際にはエチケットをはらうこと、前線で働いている方々に感謝することだけだと感じるからだ。それならもう将来の日本を背負っていく世代として、勉強しまくるぞという気持ち。

 

人の生活に口を出すことはしないが、こうなってくると心配なのは脳が退化していないかということだ。考えることを忘れてないだろうかということだ。

家で一日テレビや動画配信を見たりゲームをしたりするのは楽しい。ただ、自分で考えること、学ぼうとすることを放棄して、時間をただ消費するだけになっていないだろうか。

予備校でアルバイトをしているので、高校生の生徒や周りの大学生アルバイトと話す機会がある。今は予備校自体は空いていないが、電話やメールでコンタクトをとっていても、午後まで寝ている、一日中ゲームしているという声をよく聞く。

大学生も同様で起きたら夕方だった、何もしてないと言っている。

 

単純にこの状況がものすごく怖い。生活習慣が乱れまくりで自分で考える時間が減ったこの世代が、将来大人になって日本を支えていくのかと思うと怖い。

「今の時期に何をしていたかは就活の面接で聞かれるでしょうね」などと言われているが、就活生のみでなく今家にいるすべての世代の人にとって、この時間を何に使っているかは大きな意味を持つと思う。

 

家にいるしかないんだから、朝早く起きてみたり、ごはん作ってみたり、本読んでみたり、新聞読んでない大学生なら読んでみたり、勉強じゃなくてもいいからなんかしようぜ!って思っちゃうよ。

時間もったいねえ~、余ってんなら譲ってよ!って思っちゃうよ。

これからの日本をつくっていく世代なんだし、自分の頭で考えて生活してやることやってこうぜ。この時代に生まれたんだからさ。

 

関係ないけどトイストーリー3は何回見ても号泣だな…。久しぶりにこういう映画みたからかもしれないけど、最後の方はもう涙が止まらなくて息ができないくらいだったわ…。

段ボールに大学とか屋根裏とか日本語で書いてあるのは笑った。吹き替え版こだわってんだなって感じがして。

 

そんな感じで映画を見てしまったから時間が足んねえよ!やってらんねー!

学と術

「学と術は違います」という言葉を、最近手に取った本の前書きで目にした。

見た瞬間に、今まで理由も分からずにもやもやしていたことが、すっと理解できた気がして、もっと詳しく知りたい、考えたいといった興味が湧いてきて、この言葉がどうにもひっかかりすぐさま家に帰って調べてみた。

 

「学 術 違い」で検索してみると、いろいろな記事があって大半は探しているような内容ではなかったが、しばらく調べていると気になる記述があった。

西周先生の百学連環という書に、どうやら学と術の違いが述べられているようだった。

西周先生によると、学では知るために知り、術ではつくるために知るということだったのだが、この記述にものすごく納得してしまった。

 

少し考えれば同じような考えに至りそうだが、この言葉の選びにも納得させるような要素があると思う。

自分は大学で数学を専攻していながら、言語や外国の文化、歴史に興味があるようで、必修の数学科目以外はほとんどが、文化や思想、文学、歴史とつくものだったり、経済学や社会学といったものだった。

このことに対して自分でも違和感を覚えながら過ごしてきたが、この違和感の正体がやっとわかったのだ。

 

それは、自分が無意識のうちに"学に昇華させたいもの"と、"術に昇華させたいもの"とを分類していたということだった。

数学は、自分にとって将来必要だと感じるものは一通り知った気がしている。この先これ以上学んでも、自分の力量と将来の選択においては学の域を出ないか、学にすらならないと思う。

それに比べ、言語学や文学、経済学、社会学は、自分の将来やりたいことを見据えた時に、術に昇華させやすいように思う。文化や歴史も、それらを理解するのに必要な学だ。

 

そのため、何かを知るために知るという学びと、何かをつくるために知るという術(すべ)をうまくバランスよく欲していたのではないだろうか。

必修の数学科目以外を特に丁寧に吟味しながら選ぶようになったころ、確かに「数学だけやってても将来につながらないなあ」とかその程度には思っていた気がする。

 

たくさんの分野に興味がまたがりすぎて、広く浅くにならないかばかり心配していたけど、学にしたいのか術にしたいのかでバランスとって選べばなんとなく良い感じになるような気がしている今日この頃です。

やば、そろそろ履修決めなきゃ。