道徳イズム

東京生まれ東京育ちの大学生のひとりごと

勉強の成果を実感すること

最近勉強していて、成果を実感することが難しいなと思う。

 

大学受験以前は、小学校の勉強は中学校の勉強のために、中学校の勉強は高校の勉強のために、っていう感じがあって、テストがあって「あなたはこのくらい理解できていますよ」ということが数字として明確に表されていた気がする。

だから自分の努力に対する成果とか、怠惰の結果とかを実感しやすかったと思う。

 

よく学問という言葉で言うけど、大学に入ってからの勉強はそれで、大学側が評価するためのテストとか成績はあるけど、テストとかレポートは返されなかったりするから、明確にどこがどう理解しきれてなかったとか、どの部分の考えが浅かったとかがわかりにくい。

だから大学受験以前にテストの点数とか成績を頼りにしてきた人にとっては、大学でやってることってよく分からなくてつまらなかったりしちゃうんじゃないかなと思う。

 

試しに「学問」で検索すると、大学と高校の勉強の違いとかそういう記事が多いけど、本当に高校までのやり方で勉強していると途中で大学の勉強が楽しくなくなっちゃう人は多いな。

勉強の成果が数字みたいな形式では感じにくくて、主体性とか自分で考える姿勢がないとついていけないだろうし、こういう違いって大学生が遊びまくってることに関係してるんじゃないかと思う。大学時代は人生の夏休みなんて言われるけど、周りを見ても夏休みを有効活用している人は少ないなって感じ。

 

そういうことを思って、じゃあどうしたら大学での勉強の成果を実感できるのかなと考えてみた。

まず自分の感覚を振り返って思ったのは、勉強して知ったこと、触れたものが普段の自分の思考の中に落とし込まれる瞬間が一番うれしいということ。

自分の頭の中の、何かを考えるための土台やロジックに組み込まれたことを感じる瞬間。ああたまらん。

 

知らないことを知った時とか、見たことのないものを見た時も挙げられるけど、それが自分の思考に組み込まれるときが一番うれしい。自分の身になってる感じ。だから自分の感覚としては、この時が一番成果を実感してると思う。

大学での勉強は考えるための知識とか情報の土台づくりだったり、論理の組み立ての練習に近い気がする。そのためには結局自分の頭で考えることが必要で、それが学問をするってことだと思う。

けど、高校まで見たいに暗記とか、これやっておけば大丈夫!とかもなくて、正攻法がなくて成果を感じるまでに自分でやることが多いし、そういうのが苦手な学生は多いよなあ。

 

そうなるとやっぱり大事なのは人と話すことだなと感じる。人と話すことで、「この人ってこんなこと考えてるんだ」「こういう考え方があるんだ」っていうのは多くの人が感じられることだと思うし、こういう気持ちが思考することに繋がる。

思考すると、あまりにも自分に考えるための知識がないということ、論理の組み立て方を知らないということに気付く。

そこまできてやっと学問を始められる、興味が持てるのかな。

 

あとはもう思考しまくれば成果も実感もついてくると思う。で、もっと知りたくなって、もっと勉強したくなって、学問に近づいてく。

これって高校生までの勉強と大学以降の学問っていう対比が分かりやすいけど、高校生とかにも全然言えることだと思うし、自分の子どもには学ぶことの楽しさとか、世界のいろんなことを自分の中に取り入れていくおもしろさとかを伝えたいなあ。

 

ここまで書いて、やっぱ批判ばっかして世のなかに文句ばっか言ってちゃだめだなと思った笑

自分や自分の未来の家族が暮らしていく国を良くしたいなあと思ったら、大学生を批判してる暇あんなら勉強しろって結局なるな。全然批判してるつもりはないんだよお~…。

 

これ書きながらSid聴いてたけど、ボーカルの人あんなにかっこいいのにもう40代になったんだな、時間の流れは速いぜ。

B'zとかラルクとかももう50代なのを思うと本当に時の流れは速い。今のうちにたくさん勉強しなきゃなってやっぱり思うなあ。

こういうこと考えられるうちにたくさん学んどこう。