道徳イズム

東京生まれ東京育ちの大学生のひとりごと

新学期ですね。

ですね。ですけどこんな感じですもんね今。

 

最近こんな感じになって家にほとんどずっといて思うのは、バランスって大事だなあということ。

自分の時間とそれ以外の時間のバランス、一人でいる時間と誰かといる時間のバランス、インプットとアウトプットのバランス。

 

今は家で映画見て、本読んで、勉強して、をずっと繰り返してて、今までは1日の中に予定がいくつかあって、その予定と予定の間の時間を自分の勉強とか読書に使ってて、うまくバランスとれてた気がするんだけど、今はそれがだめ。

予定がないから時間の概念がなくなって、生活してるのにしてる感じがしなくなる。自堕落な生き方をしてるわけじゃないのに、社会から切り離されて一人になってる気がする。これが世にいう自粛疲れなのかな…。

 

そんな感じで一人でいるとどんどんこういう思考になっていってしまうのも怖い。怖いからちょっとでも発散しなきゃなという思いで久しぶりに戻ってきたわけだけど。

今年は受験生も就活生も、誰もかれもみんな厳しいですね。こんな時だからこそ自分にとっての他人の価値とか、誰かがいてくれるありがたみとか、感じながら生きてほしいなと思いますよほんと。

 

っていうことで、自粛中に考え溜めてたことをこれから消化していきますので何卒宜しくお願い致します。

「大切」の定義ってなんだ。

大切なもの、大切な人って、なんですか?

 

大切って言葉の定義が仮に、「なくなったら死ぬもの、いなくなったら死ぬ人」なんだったら、自分には大切なものはない、大切な人も多分いない。

 

「なくなったら困るもの、いなくなったら困る人」くらいならたくさん思い浮かぶ。

これは大切?

 

いなくなったら死ぬ、くらいに思ってた人がいなくなっても、人は案外平気な顔して生きてて、それはもしかしたら平気な顔してるだけで本当はすごく心を痛めてるかもしれないし、逆にいなくなったら死ぬって思いが嘘だったかもしれない。

でもとりあえずは生きてて、なんなら1日の中での他人との会話が駅前の駐輪場のおじちゃんと交した一言だけでも、人は生きてる。

 

大切ってなんなんだ。

 

こんなことを考えながら電車に乗ってる自分は、重症かもしれない。

高校の先生って親みたいだったなあ~

お風呂に入りながら今日ふと思ったのです。

「高校の先生って親みたいだったなあ~」と。

 

っていうのも、まず高校のクラスが3年間変わらなくて、だからクラスがもう家族みたいな、兄弟みたいな感じだった。

で、自分の高校の文化祭は結構有名で、日本一の文化祭って言われてくらいだったんだけど、高校の先生は、生徒たちが日本一だと思ってる文化祭を、世界一だって言ってくれた。

 

普通高校の先生って、学業を優先させたりすると思うんだよね。

でも自分たちの先生は、遊ぶときと勉強するときのメリハリをしっかりつけさせてくれて、うまくいかないときに寄り添ってくれて、高3の文化祭に最後の夏休み全てをかけさせてくれた。

部活とか文化祭に一生懸命になることを応援してくれていて、そのために課題の出し方とかを工夫してくれたり、勉強で置いていかれる子のサポートも毎回ちゃんとしてくれた。

校長先生も、高3の文化祭を本気で最後までやり切るから、大学受験も同じように頑張れる、みたいなこと言ってくれて、本当に生徒の今を応援してくれた。

 

自分が高3の時、早く高校の勉強をやめて大学の勉強を始めたいと思って、志望校より2ランクくらい低い大学に指定校推薦出そうとしたときも、その時に初めて話したような先生が、「本当に君はこの大学に行きたいの?この大学で何を成したいの?」と言ってくれた。

今振り返れば、なぜ血迷った自分、と思うけど、当時はその言葉で踏みとどまれて、ちゃんと大学受験に向き合えた。

 

今予備校で働いてて心から思うけど、あんな先生たちはなかなかいない。

進学指導重点校から外されたんだか、外されそうなんだか忘れちったけど、進学校と呼ばれたければ、学校行事を減らし、部活を早期に引退させ、早い段階で勉強一本に絞らせればいい。

それをせずに、あんなに高校生の「今」を大事にしてくれる先生は、学校は、なかなかないと思う。

 

大学生になった今でも年1、2回くらい高校訪問して先生に挨拶するけど、それって多分あの先生たちが自分たちのことをまるで親みたいに応援してくれて、寄り添ってくれて、っていう過程があったから、今自分がどんなことを頑張ってるとかどんなことに悩んでるとかを、ついつい話しに行きたくなっちゃうんだろうなと。

そんなことを考えていたらのぼせました。

人の心を動かす

人の心を動かすっていうことは難しい。

 

人間生きていればどんなに狭い世界にいても、多少の人との繋がりがある。

家族とか友達とか恋人とか、そういう周りの人間関係に悩んだことって誰にでもあるよね。

自分が今まで生きてきた人生の時間は、経験豊富な大人の人たちと比べたらまだまだ短い時間ではあるけど、最近感じたことがある。

 

女子っていうのは小5くらいからグループでつるみ始めて、気に入らない子をいじめたりする。たぶんそれが一番激しいのは中学生くらいの時で、いじめる、いじめられる、いじめを見て見ぬふりする、そういう経験は誰にでもあると思う。

自分はそういう女子のゴタゴタしたのが、中学生くらいの時からすごく嫌だって感じ始めて、高校受験をめちゃめちゃ頑張って、そういうくだらないことに執着する人が少ない高校に合格した。

それから高校3年間は本当に平和で、この先一生涯の付き合いになるであろう友人ができた。これが自分の人生の転換点だったと思う。

 

自分は小学校高学年~中学生の時、女子のいじめを見て見ぬふりをしていて、良くないよね、と言いつつも止めるわけでもない、いわゆる一番悪いやつみたいな立場だった。その頃から、それがおかしいと分かってても何もできない自分に悔しかったり、情けなかったり、いろんなマイナスの感情でいっぱいになって、保健室に頻繁に行くようになった。

保健室の先生にいつも相談しては、毎回、「人を変えることは簡単にはできないから、まずは自分が、いじめられてる子のためにできることをしなさい」と言われた。それがその頃はよく分からなくて、自分がいじめられてる子と話したり一緒にいたりしても、それは根本的な解決にはならないのに、と思っていた。

 

でも最近、やっとその意味が分かってきた気がする。

 

自分はいつも、〇〇とは思ってる、とか、〇〇したい、と言うことが多い。

「留学行きたいとは思ってる」、「もっと勉強したい」、「やってみたいとは思ってる」

では果たして、留学するために、もっと勉強するために、やりたいことをやるために、必要な行動をどれだけとっているのか。

 

多分今まで自分は、心の中で思って、考えて、悩んで、それで終わってたんだと思う。やりたいと思って、そのために必要なことは自分でしない。そんなやつだったんだと思う。

 

行動の伴わない言葉に、人が心を動かされることはないと気づいた。

その言葉に実際の言葉が伴っていなければ、周りの人間の心が動くことはないんだと、今更分かった。

 

それでやっと、保健室の先生達が言ってたのは、「人を変えることは難しいけど、自分がまず行動することで、もしかしたら周りの人の心を動かすことができるかもしれないよ」という意味だったのかな、と思った。本当にそこまで考えてたかはわかんないけど。

そもそもこの先生きていく社会で、根本的な解決ができる問題なんてほとんどない気がする。これから先出会う問題のほとんどが、すぐには解決できなくて、自分の行動で少しずつ解決に向けて進めていくことなのかなと、なんとなくだけど感じた。

 

人を変えたい、と思ったら、その人の心を動かすために、まずは自分が行動することが必要。変えたい、という言葉だけ言っていても現状はきっと何も変わらない。

 

よし、明日からも頑張ります。

10年

ブログをご覧の皆様、こんばんは。

 

今日は、もうすぐ現メンバーでの活動10周年になるクリープハイプについて、いろいろひとりごとしたいと思います。

 

クリープハイプ、もう結構有名ですよね。CMとかドラマとかにも楽曲提供してるし、そこそこ音楽聴く人なら知ってるんじゃないかな。

 

私がクリープハイプ好きになったのは高校生の時で、それからもう5年になるんですけど、最初に聴いた『憂、燦々』からもうドップリ浸かってしまって、3年くらいはクリープハイプしか聞かない時期もあったくらいで。笑 その頃はクリープハイプの曲全部でイントロドン即答できましたねたぶん。

でもその5年も、クリープハイプの10年のうちのたったの半分なんだなと思うと、もっと早く出会いたかったし、もっとはやくはまりたかったなと。

思いません?最近ファンになられた皆様方。

 

クリープハイプの曲は、自分にとっては、まっすぐに生きなくてもいいと思わせてくれる曲で、自分にとってはですけど、言いたいことを言えない自分を嫌いにならなくて済む曲です。

言葉の組み合わせ方とか、言い回しとか、「クリープハイプらしい」っていう言葉でよくネット上で書いてありますけど、本当にそれで、それもはまった要因。

『手と手』とか『君の部屋』とか『ATアイリッド』とかは歌詞から入った方だったかな。

 

クリープハイプ愛についてはもういくらでも話せるんですけど、実はまだライブとかに行ったことがないんです。自分の中で、ライブに行くことに何か抵抗があって、ライブに行ってその中の盛り上がりとか空気に乗ってしまいたくない感じというか。

それよりは、電車の外の景色を見ながらとか、お風呂に入りながらとか、自分ひとりの環境でクリープハイプの世界に浸っていたいと思っちゃうんですよね。変なんですかね。

 

考えてみれば、人におすすめとかもできないし、したことないです。自分程度のファンが何を語るんだと思っちゃうので、このブログ書いてても、好きな曲おすすめしたいけどできない。笑 悔しいです。

この曲のこれがいい!とかって、たぶん自分だから感じることで、それを共感しろっていうのも無理な話で、だから、おすすめっていう行為が苦手なんだと思います。

 

自分のクリープハイプとの出会い1曲目は先述した『憂、燦々』で、2曲目は『HE IS MINE』、3曲目は『社会の窓』でした。このあたりは有名どころなのでYouTubeにもあるんですけど、あまりメジャーじゃないやつも聴いてみてほしいです。これが私のおすすめの精一杯です。

 

『バンド』の歌詞にあるように、2009年11月16日に現メンバーが正式なメンバーになることを発表して、それからもうすぐ10年。当時は小学生だったけど、やっぱりその場にいたかったなあと思ってしまいますよね。

ライブはライブで楽しいだろうとは思うんですけど、まだ踏み出せてないので、クリープハイプの10周年に合わせて自分も何か一歩を踏み出さねばということで、10周年ツアーあたりには行ってみたいと思う今日この頃です。

サボっていました。

約1ヶ月半ほどブログの更新をサボっておりました。(あまりいないと思いますが)ご覧になってくださる皆様、大変申し訳ございませんでした。

 

実はこの1ヶ月半、めちゃめちゃ勉学に励んでおりました。

大学が始まったことに合わせ、9月から独学で日本史の勉強を始めました。

 

というのも、私は旅行とかお出かけが大好きなんです。

でも最近、行った先ですごいものを見て、「すごいなあ」しか感じない自分がみじめだなと思い始めました。すごいはすごいで良いんですけど、ダメなわけじゃないんですけど、旅行先の地理とか歴史的背景を知ってる方が、感じることも豊かになるんじゃないかなと。

 

ディズニー行くならディズニー映画とかキャラクターの名前とか知ってる方が楽しくないですか。え?そんなことないですか、それは大変失礼致しました。

 

でも私はそう思って、そう思った時にやっぱり自分には社会科目が必要だったのか、と今まで気づかないふりをしていた事実に直面してしまったわけです。

 

高校生の時までは「数学が世界を作ったんだ!」と思っていました。数学は、実は身の回りのあらゆることを形づくっているし、あらゆることに利用されているんです。

数学は神、くらいに思っていた当時、「文系科目なんて役に立たん」と思っていました。国語も社会も苦手ではなかったので受験では困りませんでしたし、その後の大学生活でも特に学ぶこともなかったのです。

 

だから今になって日本史、世界史、地理を学びたくなるなんて。笑

人間万事塞翁が馬ですかね、合ってますかね使い方。ちょっと違いますかね。

 

調べてみたらやっぱり社会人になってから教養として世界史を学ぶ人は多いみたいですね。私は日本史も世界史も、高校の授業でちょっと触れたくらいだったので、日本史もやってみたいなという思いで日本史から勉強を始めました。

 

そういうわけでこの1ヶ月半、大学の授業とバイト以外のほとんどの時間を、以前から独学している英語とフランス語、最近始めた日本史に注いでいたわけです。

はてなブログってとても親切で、更新しないと通知が来るんですよ。

 

ブログのことはほとんど忘れていたくらいの勢いで勉強していたので、大変ありがたい通知でした。これからは頻繁に更新していく次第でございます。

これからもよろしくお願いします。

子どものころなりたかったもの

振り返ってみれば、子どものころは「なりたいもの」がたくさんあった。

 

小学校中学年の時は獣医、高学年の時は動物看護士、中学生の時は弁護士、高校生の時はまた獣医になりたくて、今は保険関係。

 

保育園の時はたしかケーキ屋さんとかありがちなことを言っていた気がするけど。

 

でもってさらに振り返ってみると、小学校のころに読んでいた「動物のお医者さん」っていう漫画がきっかけで獣医になりたくなって、中学生のころに見た「リーガル・ハイ」っていうドラマがきっかけで弁護士になりたくなった。

 

なんか安易だなあ自分とも思うけど、逆に考えれば漫画とかドラマってすごい。

それを読んでる人、見てる人に夢を与えてるんだなって感じがする。

 

そうやって持った夢をずっと追い続ける人もいるかもしれないし、自分みたいにコロコロ変わっていく人もいるかもしれないけど、そういう人生の指針になるものとか、なりたい自分を人に与えることができるってすごい。

 

子どものころってたぶん、漫画とかドラマの主人公や好きなキャラクターに自分を重ねてるんだと思う。

どきどきわくわくしながら、自分を重ねて物語の中に入り込んで、それを目指したいと思って。

子どものころのそういう気持ちを持ったままなりたかったものになれる人は少ないと思うけど、なりたいものとかどきどきわくわくとかを人に与えられる仕事っていいなあと感じた。

 

そういうことを考えながらお昼ご飯を食べてたんだけど、「動物のお医者さん」とか「まっすぐにいこう。」とか、ほのぼの少女漫画が好きだったなと思って読みたくなった。笑

 

とりあえず「イタズラなkiss」読みます、さよなら!