道徳イズム

東京生まれ東京育ちの大学生のひとりごと

自分ってわがままだ〜

今訳あって森の中に住んでいて、春先まで住むつもりなのだが、こんな自然の中にいると感じることがある。

 

以前見たアラスカに暮らしている人々の生活に密着するドキュメンタリーには、年代やバックグラウンドが様々な人が出ていた。親の世代からアラスカの極地に暮らしてきた家族や、単身で移住してきた若者が、狩りや漁をしながら生活を営んでいる。

その中ですごく引っかかる部分があった。

これこそが究極の幸せだという若者の言葉だ。それは、「都会は狭くて汚くてそんなところに住んでいる人は不幸でかわいそう、それに比べて自然の中で自給自足で生きている自分は幸せだ」といったニュアンスの言葉だった。

この言葉を聞いたときに、幸せの価値基準を何に置くかは人それぞれのことなのに、どうして自分の価値観だけでさもそれが真実かのように語るのだろうと思った。今アラスカほどではないが森の中にいて、自然や動物に囲まれた環境にいると、その若者のように「幸せマウント」をとる人に稀に出会う。

その人も、東京は空気が薄汚れていて汚いなどとよく言い、それに対して自然の中で暮らしている自分に酔っているのか、自然自慢をしている。自然は誰のものでもないのに。

 

狩りや漁をしながら自然の中に暮らすことは、確かに人間のあるべき姿なのかもしれない。それでも多くの人が自分で選択をして住む場所、生き方を選んでいるわけで、それは他人が勝手に幸せだ不幸だと判断できるものではないだろう。

こうして考えていると、そうやって幸せマウントをとる人も嫌だし、幸せマウントをとる人に対して斜めに見て意見する自分も嫌だとなってくる。何かにつけて一側面しか知らないのに全てを知った気になって声を荒げて主張する人、その人を批判的に横目に見ている人、どちらにもなりたくないしいっそのこと関わり合いになりたくない。

 

そのどっちにもならず、自分の幸せは自分で決めて、迷惑をかけたり人の領域を侵したりしない限りは自分のやりたいことを好きに自由にやり、人に何を言われようとうちはうち、よそはよそと俯瞰できる人間でありたいなあ。

そんな自分ってすごくわがままだなあ。